- 著者
-
荒木 浩
- 出版者
- 文学通信
- 雑誌
- 古典の未来学 : Projecting Classicism
序論 〈投企する古典性 : Projecting Classicism〉から「古典の未来学」へ / 荒木 浩一、研究の現在と消えゆく未来 : コロナ禍と『なぐさみ草』二、『なぐさみ草』の投企性から〈未来学〉へ三、〈投企=Projecting〉する古典性とは四、本論集の企画と構想 五、「古典の未来学」へⅠ 投企する古典性第1部 古典を見せる/古典を活きる1-1 古典を見せる : 展示という方法第1章 女子大で古典を展示するということ : 実践報告とそれに基づく若干の考察 / 中前正志一、はじめに二、古典籍展示履歴三、見られてなんぼの展示四、わたし、ふじのちゃん。五、京女に久米の仙人が落ちてきた!?六、あることないこと二人の会話をでっち上げる七、おわりに第2章 美術で楽しむ古典文学 : 「徒然草」展の事例報告 / 上野友愛一、はじめに二、企画の経緯三、海北友雪筆「徒然草絵巻」の展示四、現代語訳の作成五、来館者からの声六、おわりにColumn 1 文化をつなげる場としての展覧会 : ロンドン大学SOAS大英博物館の国際共同研究プロジェクトを事例として / 石上阿希一、はじめに二、国際共同プロジェクト三、国際春画研究プロジェクトの場合四、大英博物館春画展のその後1-2 古典を活きる : 韻文の創作とその展開第3章 即興と記憶 : 中世和歌連歌における「擬作」「本歌」「寄合」をめぐって / 土田耕督一、序二、「擬作」と本歌取 : 和歌における即興性:〈予見/準備〉としての記憶三、本歌取と「寄合」 : 連歌における即興性 ①:詞の〈自動補完〉プログラム四、「当座の感」と「心付」 : 連歌における即興性 ②:〈表現〉という反応五、結 〈随意〉創作の位置第4章 琉球における和歌の受容と展開 / 屋良健一郎一、はじめに二、琉球人の和歌習得三、近世琉球人の作品四、和歌と琉歌五、琉球人と和歌六、おわりに第5章 世紀転換期日本および西洋における俳句の詩的可能性の拡大 : 出版、翻訳、再評価 / 前島志保一、「俳句」理解への取り組みの世界同時性二、従来の俳句鑑賞の継承三、新しい俳句鑑賞傾向・1デノテーションの復権四、新しい俳句鑑賞傾向・2作者の感情表出として五、新しい俳句鑑賞傾向・3コノテーションへの注目六、拡大される俳句の詩的可能性第6章 教科書から実践的な俳句学まで / グエン・ヴー・クイン・ニュー一、はじめに二、古に学ぶから今を生きるまで三、豊かな言葉文化論の地位づけ四、新しく面白い俳句学五、まとめColumn 2 時をかける和歌 : おみくじと占い / 平野多恵一、はじまりは、短大の授業二、室町時代の和歌占い : 阪本龍門文庫蔵『歌占』の実践三、江戸時代の和歌占い : 『晴明歌占』の実践と展開四、「天祖神社歌占」 : 神社と大学の合同プロジェクト五、おわりに : 和歌を生きる第2部 投企する古典性/古典との往還第7章 身を投げる/子を投げる : 孝と捨身の投企性をめぐって / 荒木 浩一、捨身の投企性 : 清水の舞台を発端に二、薩埵王子「捨身飼虎」と雪山童子「施身聞偈」の類比とずれ三、『三宝絵』上巻の本生譚が描く生と死四、孝と捨身と死の描写五、「孝」思想と死なない子六、身を投げる?子を投げる? : 仏陀の妻と一子七、『金光明最勝王経』の虎と義母第8章 透明な声、隔たりの消失 : 古典世界において〈一つ〉の世界はいかに想像されたか / 山藤夏郎一、序二、一つの声の分裂という歴史像三、文字以前の理想化 : 「太古」表象のパターン四、文字の原理 : 「分ける」ということ五、「太古」の世界では動物とも意思の疎通が可能だった?第9章 古代からの道行き : 『行人』 / 野網摩利子一、はじめに二、古代の悲恋をふまえて三、約束の再設定と違反四、嵌められた物語への抵抗五、古代歌謡による小説の加速第10章 『豊饒の海』縁起絵 : 『浜松中納言物語』、夢と転生、そして唯識思想 / 河東 仁一、はじめに二、『春の雪』三、『奔馬』四、『暁の寺』五、『天人五衰』六、縁起論七、おわりに第11章 北京人文科学研究所の蔵書から考える「投企する古典性」 / 河野貴美子一、はじめに二、『北京人文科学研究所蔵書目録』及び『続目』にみる古典籍の蒐集と研究三、『北京人文科学研究所蔵書目録 再続』にみる典籍の蒐集四、おわりにColumn 3 出版社の立ち上げと、これから / 岡田圭介一、二〇一七〜一八年二、二〇一九年三、二〇二〇年四、学術メディアとして【付】貸借対照表及び損益計算書第3部 古典を問う/古典を学ぶ第12章 「投企」のカタチ : 教室の「古典」 / 竹村信治一、はじめに二、「古典は本当に必要なのか」三、古典?四、「投企」のカタチ : その前に五、おわりに第13章 未来に活かす古典 : 「古典は本当に必要なのか」論争の総括と展望 / 飯倉洋一一、はじめに二、古典不要派の主張三、古典不要派の主張1 優先度四、古典不要派の主張2 芸術科目五、古典不要派の主張3 現代語訳六、古典不要派の主張4 ポリティカルコレクトネス七、国語力の一部としての古文・漢文八、古典知の可能性九、資本としての古典一〇、おわりに : 遺産としての古典 第14章 古典を必修にするために / 渡部泰明一、問題のありか二、基礎科目としての古典三、リテラシーを育成する科目としての古典第15章 くずし字を知ること : 日本古典文学の基礎学を考える / 渡辺麻里子一、はじめに二、弘前におけるくずし字普及活動三、くずし字の伝え方四、古典文学の基礎学五、おわりに : 現代人にとっての古典Column 4 古典との出会い方 / 中野貴文一、―月が綺麗ですね―二、―今、あなたと同じ月を見ている―三、―さらば愛しき古典よ―四、―古典文学を自由化する―Column 5 宣伝される大衆僉議 : 中世一揆論の再構築 / 呉座勇一一、はじめに二、強訴とは何か三、強訴の呪術性四、大衆僉議は神秘的か五、豪雲説話を読みなおす六、大衆僉議の宣伝性七、おわりに第4部 古典を観る/古典を描く第16章 筍と土蜘蛛 : 古典がジャンルを越えるとき / 山本陽子一、はじめに二、豊国祭礼図屛風のタケノコ三、孟宗はどこか四、さまざまな孟宗五、異色だらけの「土蜘蛛草紙絵巻」六、東博本の化物たち七、東博本の詞書八、東博本が典拠としたもの九、東博本の典拠の制約一〇、人形芝居ならば一一、人形芝居と東博本一二、ジャンルを越えて広がるとき第17章 頼光の杖 : 混沌にして豊穣な絵巻模写の世界へ / 楊 暁捷一、鬼が岩屋への道二、模写ということ三、諸本を探る四、模り写すことの限界五、多様な展開六、変化が物語るもの七、模写を読み解く第18章 語り物文芸の視覚化 : 説教源氏節の性格と意義 / 深谷 大一、はじめに二、説教源氏節の名称三、説教源氏節の創設者四、新内節・説経節・説経祭文五、説経節の大衆化六、草創期の説教源氏節七、草創期の人形遣いと人形戯八、明治初頭の岡本諸座九、明治一五年頃の岡本諸座一〇、説教源氏節芝居一一、一座の構成と入場料 一二、説教源氏節(芝居)の伝播一三、説教源氏節の音曲としての性格一四、娘義太夫への対抗意識一五、明治三四、三五年頃の岡本諸座一六、結び第19章 故事を遊ぶ : 「戯画図巻」という文芸 / 齋藤真麻理一、「戯画図巻」の登場二、室町物語と「戯画図巻」 : 『富士の人穴の草子』三、当代性の反映 : 「戯画図巻」観音の射的四、明代版本の受容 : 張果老のすがた五、むすびに代えて第20章 風景を捉える川合玉堂の眼差し : 大衆性と同時代性と / 三戸信惠一、 川合玉堂と「大衆性」二、 明治二八年の「鵜飼」 : 山水画の構図、名所絵版画の視点三、 明治三九年の「渓山秋趣」 : 『日本名山図会』の眼差しを求めて四、 大正三年の「駒ヶ岳」 : 『日本風景論』が提示した新たな眼差しの枠組み五、 昭和期の動向 : 写真との関わり第21章 洋画家・岸田劉生の初期の制作にみる古典性の投企 : 美術の複製メディアを手がかりに / 前川志織一、はじめに二、明治後半期から大正初期にかけての複製による美術の受容三、劉生の初期の制作と複製としての美術四、おわりに第22章 柳田國男『遠野物語』の「戦争物語」への変奏 : 村野鐵太郎監督の映画「遠野物語」を中心に / 金 容儀一、はじめに二、特化される「オシラサマ」伝承三、映画「遠野物語」の民俗世界四、娘と馬の幻想的な「悲恋物語」五、「遠野物語」から「戦争物語」への増幅と変奏六、おわりに第5部 古典を展(ひら)く/古典を翻す第23章 「日本文学史」の今後一〇〇年 : 『日本「文」学史』から見通す / ヴィーブケ・デーネーケ×河野貴美子一、「国文学」のパラダイムを問い直す二、『日本「文」学史』の構想と構造三、『日本「文」学史』第三冊「文」から「文学」へ : 東アジアの文学を見直す The Path from "Letters" to "Literature" :A Comparative History of East Asian Literatures の挑戦四、『日本「文」学史』からの展望五、二一世紀の人文知とは─世界の古典学から考える The Humanities in the 21st Century: Classical Studies in and for the WorldColumn 6 投げ出された言葉を繋ぎ止めるために : 翻訳の準備的作業としての「概念史」 / 河野至恩一、「投企」と翻訳二、「投げ出された言葉」の翻訳論三、翻訳の方法と「概念史」四、翻訳の準備的作業としての概念史 : 二つのモデル第24章 投企された「英訳方丈記」 : 夏目漱石の「作家論」から「天才論」へ / ゴウランガ・チャラン・プラダン一、はじめに二、「投企」という概念について三、「英訳方丈記」にみる漱石の作家論四、「英訳方丈記」の作家論の形成について五、投企された「英訳方丈記」の作家論六、終わりに向けて第25章 古典の翻訳 : 大衆性と視覚性を問う / 李 愛淑一、はじめに二、大衆性を問う三、視覚性を問う四、世界文学としてColumn 7 投企する文学遺産 : 有形と無形を再考して / エドアルド・ジェルリーニ一、古典性という「価値」二、文化遺産から文学遺産へ三、有形と無形の相互投企四、現代を相対化する文学遺産第6部 古典と神話/古典と宗教第26章 古事記の〈天皇像〉 : 「詔」の分析をとおして / アンダソヴァ・マラル一、はじめに二、オホクメと神武の求婚三、天皇と出雲の神々四、気比大神五、景行天皇とヤマトタケル六、目弱王と忍歯王七、結論 : 「詔」からみる古事記の天皇像第27章 一三世紀の失敗した宗教議論 : 『広疑瑞決集』の政治議論を中心に / ダニエル・シュライ一、『広疑瑞決集』 の議論はなぜ失敗したのか二、議論の失敗の原因は何か三、宗教的な議論四、政治論の背景五、政治の議論六、引用文の確認七、解決失敗の理由についての一考Ⅱ 特論 : プロジェクティング・プロジェクト第1部 「投企する太平記 : 歴史・物語・思想」から第1章 点描 西源院本『太平記』の歴史 : 古写本から文庫本まで / 和田琢磨一、はじめに二、元禄二年 : 『参考太平記』の作成三、大正八年三月 : 〈影写本〉の作成四、昭和一〇年五月二五日 : 刀江書院本刊行の背景五、平成二六年 : 岩波文庫本刊行開始六、おわりに第2章 「太平記史観」をとらえる / 谷口雄太一、はじめに二、「太平記史観」を定義する三、それが「太平記史観」だと気付くまで四、「太平記史観」批判の現在五、「太平記史観」超克の未来六、おわりに第3章 『太平記』に見る中国故事の引用 / 亀田俊和一、はじめに二、中国故事引用の頻度・分布三、大規模引用の意図四、観応の擾乱期における大規模引用の検討五、『太平記』の編纂過程と中国故事引用六、おわりに第4章 『太平記』の近世的派生/転生 : 後醍醐・楠像を軸に / 井上泰至一、はじめに : 足利将軍木像の梟首二、歴史読み物としての『太平記』の派生書 : その様式の変遷から三、後醍醐天皇像 : 失政者はいつ理想の天皇となったのか四、楠像の変遷 : 諫臣から忠臣へ五、史学とは「史料」を使った投企的読みではないのか?第5章 以津真天の変容 : 〈創作的解説〉の時代を中心に / 伊藤慎吾一、『太平記』中の妖怪記事二、前近代の以津真天三、現代の以津真天四、創作的解説五、いつまでんの誕生六、〈世界〉から乖離したキャラクター七、不必要な情報共有八、おわりに第2部 「日本漢文学プロジェクト」から第6章 「和漢」型の漢詩詞華集の流行と近代日本における古典の教養 : 結城蓄堂『和漢名詩鈔』と簡野道明『和漢名詩類選評釈』 / 合山林太郎一、はじめに二、「和漢」型漢詩詞華集の性質三、中国・日本の詩をともに載せることの意義と背景四、注解・訓読の付与と独自の書型五、前代の漢詩文化とのつながり六、勧学の詩の重視とその背景七、辺塞詩の収載と日露戦争の記憶八、おわりに第7章 元号「令和」 : 時間の表象と政治の隠喩 / 葛 継勇一、はじめに二、「梅花の歌」序の出典三、元号の選定と出典四、『万葉集』の性格五、元号にみられる隠喩的な時間六、おわりにⅢ Projecting Classicism in Various LanguagesChapter 1"Distance Reading, Migration of the meaning and Metempsychosis through Translation: Is "World Literature or Global Art" Possible? : Comparative Literature and Art in the Context of the Globalization" / 稲賀繁美Chapter 2"Projecting Classicism in Classical Kabuki Theatre : A Gender Perspective" / ガリア・ペトコヴァあとがき / 荒木浩共同研究会開催一覧執筆者一覧キーワード索引